吉原とは
時代劇の中で遊び人の男たちが出かける場所として遊郭は何度も登場します。
遊郭の女との色恋沙汰で事件が起きたり騙されて売られてきた女たちの悲しい事件を取り上げたりもしています。
華やかな花魁をクローズアップした映画なども数々ありますが江戸時代の遊郭の代表が吉原でした。
現在は国内隋一のソープ街となった吉原の街とはどんな所なのか歴史と共に振り返ってみましょう。
吉原に遊郭が誕生したのは今から約450年前の1657年(明暦3年)と言われています。
人形町にあった幕府が認めていない岡場所(女郎屋)が町の区画整理で幕府の指示により吉原に移動となったことが始まりです。
その後正式に幕府に遊郭として認められ吉原遊郭は江戸一番の男の遊び場となりました。
遊女が逃げ出さないようにという理由からか吉原遊郭の入り口はひとつでそこには吉原大門という大きな門が立っていました。
江戸幕府が崩壊した後も吉原は政府公認の性風俗、いわゆる赤線として長く同じような形態で営業をしてきました。
そして戦後の昭和32年に政府が赤線を廃止したことでその歴史に幕を閉じました。
その後違法の赤線が暫く残っていましたが昭和40年代に入ってから今のソープランドの原型のトルコ風呂が吉原に次々と建ち始め今のソープ街の原型になりました。
ちなみに1980年代前半に在留トルコ人の方からの要望による一般公募でソープランドと改名されました。
吉原のソープ街最寄りの駅と行き方
ここまで吉原の歴史について紹介しましたが続いて吉原ソープ街の最寄り駅と吉原への行き方について紹介していきます。
吉原は東京の千束にあります。
江戸当時は江戸の町での外れのほうになっていたようですが、現在の東京都内では中心まで30分程度ですが交通機関のない江戸時代ではなるほどとうなずける距離ですね。
最寄りの駅はJR常磐線「南千住駅」 地下鉄日比谷線「三ノ輪駅」になります。
台東区の中では東にあり明治通りを「三ノ輪駅」に向かって進み土手通りと合流したところから左に曲がると暫くして吉原大門の看板と吉原大門跡が見えます。
昔はここが吉原の入り口となっており現在はソー部外の入り口の目印になっています。
この吉原のエリアには昔遊郭があったことを思わせる史跡が数多く散見されます。
吉原で遊んだ男性が名残惜しさから見返る場所であった見返り柳などは特に有名ですね。
ソープの神々しいネオンに交じって有形の文化財などがるところに歴史を感じます。